しがない地方公務員の日常

一地方公務員が日々感じていることや子どもとの日常、本の感想等

「あなたが誰かを殺した」を読んで

加賀恭一郎シリーズ。

最初は登場人物が多く、誰と誰がどうつながっているのかを理解するまで少し時間がかかりました。しかし、中盤以降は早く先が読みたくなって、ノンストップで最後まで読み進めてしまいました。

あまり意識していなかった人物がまさか犯人だったとはと驚きましたし、最後の最後まで話が二転三転して、「なんと、そういうことだったのか」と思わされました。

最初の方に出てきた「嘘は通用しない」という言葉も、読み終えてみると、ここにつながってくるんだなと。こういうところは、さすがだなと思います。

改めて事件の顛末がわかると、「だからこの人の目線で書かれていたのか」と、それまでの描写の意味もよくわかります。

ただ、ここまで人間関係が複雑なことって実際にある?とも思いましたが、そこは小説ということで(笑)。

今回も、とてもおもしろく読ませていただきました!

東野圭吾さんの新しい作品がもう出されないのは非常に残念な限りです。

「勿忘草の咲く町で」をよんで

今回の話は神様のカルテとはまた違うお話だったなという印象です。
ほんとうに、地方の抱える高齢者医療の現状を直視した内容でした。
その中に、花屋出身の研修医と看護師が自分の信念にもとづいて悩む姿が特に印象的でした。

あらためて「生きる」とはなんなのか。

ひと昔前までは、口から食べられなくなったら徐々に衰弱してなくなっていった。しかし、今は医療技術が進歩し、心臓すらとまっていても、技術でなんとかできる時代になっている。
そうした中で、「生きる」、いや「生きている」とは何なのかと。

そういう意味では第四章の2人は対象的に描かれていました。
一人はずっとねたきりで話もできず、医療で生かされているだけ。親族の孫も様子を見に来ることもなく、病院にまかっせきり。一方で、もう一人は高齢であり、延命はよいという意向を示しているものの、息子は何かあれば飛んできて、母のために何ができるか、何をしたらよいかを考えていた。

改めて「生きる」とは何か、「死ぬ」とは何か。
小説の中にも、器具や薬の説明はあるものの、どこで治療を引き上げるべきかのガイドラインはないとある。それはそうだろうと思う。
結局のところ、本人がいきたいか、周りの人がどうか、そこに尽きるのではないか。
人は一人で生きているわけではない。だからこそ、本人、親族や周りの人がどうかでその答えがかわってくる。
たとえ、身動きがとれず、寝たきりとなっていても、親族の人からすれば、そのような状態でさえ、生きていることがその人の支えになっているのであれば、医療技術で生き続けることも決して間違いではない。一方で、これ以上、技術で生きながらえさせて、それで意味があるのかと考え、看取ることもまたしかりである。
答えはない。ただ、その結論にいたるまで、悩み、考え抜くことが大事なのではないだろうか。

そして、この話は、何も医療だけの話ではない。今の世の中、いろいろと満たされている。何が幸せかの価値観も人それぞれ。正解のない時代である。
ゆえに常に悩み続けることは、どの分野にも共通することではないだろうか。

この時期になると・・・

4月もあっという間に1週目が終わりますね。

さて、インターネットのニュースでここ数年話題になっているのが、新入社員がすぐに退職すること。

 

退職代行というサービスも出てくるほどで、社会的なニーズは高まっているんでしょうね。

 

かくいう行政も同じ。

私のところでも、昨年度、入庁した方が、数日というわけではなかったものの、1年以内に退職されることがありました。

 

今の時代、終身雇用という概念より、複数のところをわたりあるくようなイメージ。

これは売り手市場、人材不足というのもあいまってこの流れが加速していますよね。

 

そうなると、公務員としても、人材を確保していかないといけませんが、そこが確保できなくなると、担い手がどんどんいなくなっていく。

そうするとサービスすら提供できなくなりかねないということもあります。

 

だからこそ、少しでも興味を持ってもらえるように、今いる私たちの働いている姿っていうのが大事なんだと思います。

今、入ってこられる方も少なからず、何等かの思いを持って入られているわけで、その思いを引き続き持ち続けてもらえるようにしないといけないなと。

男女平等について

先日、たまたまYouTubeで男女平等関係の動画を見ていて印象に残った言葉があります。それは、

 

「男女平等ではなく公平の方がよいのでは」

 

という意見。

 

私自身も少し感じていたのは、男女平等ということで、もちろん差別はしてはいけないのは大前提なのですが、二項対立をあおっているようにも感じていました。

 

動画で言われていたのは、男性と女性でそもそも違う部分があるので、完全に平等にするのは難しいところがある。

それよりは、公平、男性とか女性ではなく、選択肢がある、選べることが大事ではないかというもの。

極端な話、スポーツも男性とか女性ではなくテストステロンの数値でランクを分けて行ったらということも言われていました。

 

この選択肢があるというのは大事で、男性とか女性ではなく、示された条件をのめるのなら、男女のくくりなく、選択できることの方がよいというのはそのとおりだなと。

 

一方で別の視点として、会社における女性の役員の割合が低いなど、女性が役員になりにくいイメージができているのもあるとは思います。

だから、女性役員を〇〇%にしましょうとして、イメージをつくっていくというのも施策としてあってもよいのかなと思います。

 

ということで男女の話というのは、簡単にまとめることができない難しい話だなと思いました。

これからのキャリア

さて、私も公務員として中堅もいいところになってきました。
これまでは、さまざまな部署に行き、それぞれの知識やノウハウをためていきました。
そのような考えで今に至るのですが、公務員人生もそろそろ折り返しが近くなってきており、自分自身、どういうことに取り組むか、この1年しっかり考えた方がよいなと思いました。

順当にいけば、管理職にあがっていくことを考えると、自分の思いを持ってしっかり取り組めるのは今のプレイヤーのうちだなと。

 

とはいえ、人事異動で自分の思いが叶うかはわかりませんし、こういう問題があるからそこを変えたいと思っても、簡単にはいかないこともあります。

 

だからその辺、希望を強く持ちすぎてもよくないところではあります。

 

それでもしっかりと自分の立ち位置をとらえ、取り組んでいけたらいいなと思います。

3月の一度きりの人事異動の弊害

この時期、多くの自治体ですでに人事異動の内示が出ていることと思います。

行政の都合上、年度で予算が区切られること、また退職、新規採用なども踏まえると、この3月のタイミングにまとめて行う方が人事担当としてもやりやすい部分があるのかなと思います。

 

しかし、この時期に人事異動があることの弊害もあると思います。

職員の意識が年度で区切られてしまうこと。

「とりあえず、年度を乗り切れたらよいか~」という思いになると、新しいことをしようという思いにならないことや、新年度事業を考えるのが新年度に入ってからになり、動き出しが遅くなるとか。

たとえ課題があっても、変わるかもしれないしという思いで先延ばしにする意識がどうしても生まれてしまいます。

かくいう私も、今回の人事異動でそのような感覚を持ってしまっていたので、人のことはいえないですが。

 

そもそもの話として、3月のみにまとめて人事異動を行うことがどうなのかと思っています。

例えば年間3回とか4回とかあると、とりあえず年度を乗り切るという意識は多少なりともマシになるのではと思います。

また、部署内において様々な理由でお休みされる方が出てくることもありますし、それが年度の早いうちにわかっても、とりあえず3月までとなると組織の柔軟性もなくなります。

 

そういう意味で、年間、複数回異動するようになれば、そうした人手不足にも対応できるのではと思います。

 

もちろん、複数回行われることで、人事担当の負担が増えることはもとより、自分の担当として思いを持ってやっていたことを途中で交代しないといけないとか、マイナスの部分もあるとは思いますが。

 

さて、どちらが良いのでしょう。。。

具体より大事なのは抽象

かなり久々になります。

先日、改めてアウトプットが大事ということを聞いたのもありまして。。。

 

最近、具体と抽象関連の本を読んだことやYoutubeでそれに関連する記事を見て思ったのが、具体がわかりやすくて求める傾向があるものの、本当に大事な信念や意識というのは抽象でしかない。

 

しかもその捉え方は一つではなく、人の数だけである。

 

でも、分かりやすい方、具体の方にみんながなびいていると感じるのも事実。

この抽象的なものを組織として共通認識として持っていくにはどうすればよいのだろうか。