「嫌われる勇気」を読んで
遅ればせながら、「嫌われる勇気」を読みました。
中々興味深い内容ではありましたが、一回読んだだけでは上手く理解できなかったので、二回読んでなんとかアドラー心理学とは何かぼんやりとつかめた感じです。
この本では、対人関係、そして生き方まで含めて書かれており、参考になる部分が多くありました。
それでは、印象に残っている点をいくつか挙げたいと思います。
まず、原因論ではなく目的論に立つこと。
これは、人の思考を考える上で原因か目的かということです。
原因論に立つなら、ある事象があったからこういう行動をとった、目的論に立つならある目的のためにこういう行動をとった、ということです。
その例として、怒りは出し入れ可能な道具であることがあります。
つまり、嫌なことをされて怒るのではなく、相手を屈服させるなどの目的があって怒るということです。
同じ内容でも話す相手によって対応が変わることって思い返せばそういうシーンがあると思います。なぜかこの人は自分に対して当たりが強いなど。
それも相手を屈服させたい、距離をおきたいなどの理由があると考えられるということです。
次に、他者と自分の課題の分離です。
これについては、親子関係が良い例です。
親が勉強しない子に勉強させようとする、これは親が子の課題に介入しているということです。
誰の課題かは、最終的にその責任を負うのが誰かなので、このケースであれば、子になります。
あくまで他者の課題には介入せずに、自分にできる援助ができるようにすることです。
結局、無理やり勉強させても意味がなく、本人の意志で勉強させてこそ意味があるということ。
また、他者が自分に対してどう思うかは他者の課題で自分にはどうすることもできないともあります。
つまり、自分がどう振る舞うかは自分の課題ですが、それによって相手がどう思うかは他者の課題であり、気にしても仕方ないということです。
最後に、いま、ここを真剣に生きることです。
人生とは、連続する刹那であり、一瞬一瞬で完結しているというもの。
これについて、極端に話せば、今死んでも後悔がないか、ということかなと理解しています。
生きていれば成し遂げたいことなどあると思います。しかし、先日の台風でもわかるように、いつ、どこで亡くなってしまうかなんてわかりません。
交通事故にだって遭うかもしれません。
そんな中で、いますべきことをしっかりやれているか、ということです。
他にも書こうなと思っていたこともありましたが、まとまらなくなりそうなので、この辺にしておきます。
この本に書かれていたことを実践できれば、考え方は大きく変わると思います。しかし、考え方を変えるのには、今まで生きてきた人生の半分が必要とのことです。
私もゆっくり、少しずつ変えていきたいです。